アライアンス事業部にジョインしました平野尚志です。
社会人経験が長いため、自己紹介などが長くなってしまうことをお許しください。お楽しみいただければ幸いです。
自己紹介
1963年6月7日生まれ。
静岡県浜名郡浜北町(現在は、浜松市浜北区)に生まれる。
浜北町は、翌月、浜北市に移行しました。浜北という名前は、「浜松の北」と思われがちですが、「浜名」という地域と「北浜」という地域が合併するとき、浜名の「浜」と北浜の「北」を組み合わせて、「浜北」となりました。この地域は、そういう命名が多いのかも知れません。「浜名」になる前は、「小野口村」と呼ばれていました。それは、「小松」と「内野」と「平口」が合併してできたので一文字づつとって「小野口村」となったそうです。
ちなみに、「小松」はちょっと全国的には知られているはずで「清水の次郎長」に出てくる「森の石松」を助けた「小松の親分さん」の本拠地の小松です。
2005年に浜松市に編入合併し、浜松市浜北区となりました。
2024年に浜松市の区再編により、浜名区に代わります。
「浜名郡」に由来する歴史的地域が再び「浜名区」としてまとまることはうれしいと思います。
犬
生まれたころから、犬と育ちました。
父が、日本コリークラブに所属していましたので、コリーやシェルティーが必ず居ました。
楽しいとき、辛いとき、そのような気持ちを共有できたのは、犬たちでした。
中学校の時、人が信じられなくなって狂暴になってしまった「ポメラニアン」を引き取って、とっても人が大好きな優しい犬に大変身させてあげることができたのは、素敵な思い出です。
社会人になり、結婚をして、なかなか犬が飼えなくなっていましたが、テレワークの制度化により、子犬の世話ができそうな目途が付きました。
福岡の友人から柴犬の「こなつ」(男の子)を譲っていただいて、家族で大切に育てています。
テレビゲーム(コンソール)
初めてのテレビゲームは「任天堂 TV-GAME 15」です。1977年ごろなんですかね。お年玉で買いました。つまり、テレビゲーム歴 46年?
以来、様々なテレビゲームのコンソールで楽しませていただきました。
ボードゲーム
高校時代に悪友から誘われてボードゲームで遊んでいました。
アバロンヒルのTACTICS II、スコードリーダー、DUNE、宇宙の戦士、アメーバ戦争など。
それをじっくり楽しむ時間は無くなってしまいましたね。
その代わり、テレビゲームをしていますね。
得意な学科は?
学生時代は、数学と理科が得意でした。国語、英語、社会は苦手です。
コンピューター技術者を目指していた大学生時代に、「国語」(というか自分の考えを伝える技術としての日本語)の大切さを教えていただいて、伝える技術をコツコツと鍛えてきました(つもり)。
技術分類でいうと、ロジカルライティング、テクニカルコミュニケーション、認知心理学などにあたります。これらの技術は、義務教育では教えてくれません。先天的才能を有しているか、社会に出て意識して学ぶしかありません。これらの技術も、日々進化しています。何かに着目して、探求すれば、新たな発見もあるかもしれません。
(平野尚志、2023/3/25、JBUG静岡講演資料)
小さい頃の得意な学科は?
小学校1年生の最初の成績時は、5段階評価で、オール1(もちろん、最低評価)です。
算数は、単純計算は苦手です。難しい文章問題が得意です。
文章問題って、日本語の理解力が必要なんですよね。
自分がよくわかりません。
親族には、国語と算数が得意な人が多いです。意味が分かりません。
- 実の祖父は、農家ですが、国語学者になりたかったらしい。耳元で「漢字は面白いぞー」と囁かれ続けました。意味が分かりません。
- 実の祖母は、教育者だったらしい。
- 実の父は、小学校の先生をしておりましたが、国語、数学、体育の免許をもっていました。意味が分かりません。
- 母のおじは、地域の史実や逸話をわかりやすく文字に起こす作家でした。意味が分かりません。
そういう「論理性と表現力を持っている人」の実例を見ていると、理系とか文系とかいう学問の分類で、個人を分類するのは、不適切なような気がしています。
そんな私が、「伝えるための情報アーキテクチャー」みたいなことを話すようになるとは予想外ですね。意味が分かりません。
(本ジョインブログが切っ掛けで、 2023/7/31 にクラスメソッドの社内勉強会でお話させていただきました。)
家族旅行
結婚した29歳の時、「5年に一回家族みんなで旅行する」と決めて遂行してきました。
グアム、サイパン、台湾、カンボジア、シンガポール、マレーシア、フロリダのディズニーリゾート、カリフォルニアのディズニーランドパークなど、思い出をたくさん共有してきました。
定年のタイミングでは、コロナ影響もあり、遠出はできませんでした。
次は、いつ行けるでしょうか?
家族は、それを楽しみにして、日々を一生懸命頑張ってます。
実際は、5年に2回ぐらい旅行していたのは、内緒です。
職歴
学生時代の職歴・アルバイトとか
- 郵便局の配達
- いなげやの雑貨品出し
- プログラミング(NEC系列の開発下請けw)
- 地方博覧会ブームがあり、NECブースの走り幅跳びゲームなどのプログラム、「北海道21世紀博覧会」とか。Wikiに記録あるのね。びっくり。
- FAシステム(テレビのキャプションタイミングを入力する装置)
- など
1987年3月
東京農工大学 数理情報工学科卒業
日本で初めて創設された即戦力のコンピューター技術者を育成する学科です。
1987年4月
日本楽器製造株式会社入社。100周年記念日にヤマハ株式会社に社名を変更。
経験した製品概要
CD-I/CD-ROM/CD-Rなどのアクセス装置、ネットワーク機器、コミュニケーション機器などを担当しました。
経験した業務概要
ソフトウェア開発、Web運営、FAQ運営、コミュニティー運営、商品企画、製品市場導入、広告販促、営業企画、代理店営業、展示会出展企画、事業ブランディング(交通広告)、製品情報デザインなどを担当しました。
インターネット接続 (ヤマハ株式会社の一人のエンジニアとして)
1988年ごろにJUNETにUUCP接続している環境に居ました。電子メール、NetNewsなどを通して、異なる場所、異なる組織の人と<テキスト(文字)>によるコミュニケーションできることに感動しました。
1994年にWIDE projectのNOC浜松が静岡大学浜松キャンパスに設置されたのを機にUUCP接続からIP接続に切り替わりました。アプリケーション通信がリアルタイムになった驚きがありました。
1995年のRT100i発売のタイミングで商用インターネット接続に切り替わりました。
ソーシャルメディア、または、コミュニティー参加、など
最初のコミュニティー活動は、ゲームコンソールの「セガ サターン」と「ソニー プレイステーション」のメーリングリスト参加です。このメーリングリストでは、FAQ制作スタッフとして参加しました。主催されていた「委員長(いいんちょ)」さんには大変お世話になりました。この時、同じ趣味を持つ人たちがコミュニケーションをとれるコミュニティーの楽しさを知りました。そして、「メーカーの参加者がユーザーとコミュニケーションすることの難しさ」(ブランド棄損リスク)と、逆に「ユーザーとしてメーカーの参加者に期待していること」(提供すべき情報)を考えるようになりました。
一生好かれるブランドになるか、一生嫌われるブランドになるか、社員一人の発言や行動で左右してしまう可能性を思い知りました。この経験は、自分のかかわるネットワーク機器のユーザーコミュニティーに対する姿勢に大きく影響しています。
1997年に異動して「ルーター(ネットワーク製品)」を担当することになりました。3年ぐらいの間にやりたひとつ見つけてほしいというのが最初のミッションでした。振り返ると二つのことに取り組んできたと思います。
- 個人で扱えるブロードバンドルーターを作ること。
- このころは「作るとは、ソフトウェアを書くこと」と思っていましたけど、結局、「作るとは、商品を企画すること、事業を企画すること」ということを思い知ることになりました。技術は大切だけど、何を実現するためにその技術が必要なのかをちゃんと定義しておかないとダメですね。
- 「競合を見て追いかける」は、レッドオーシャンへの道
- 「顧客を見て課題を解決する」は、ブルーオーシャンへの道
- このころは「作るとは、ソフトウェアを書くこと」と思っていましたけど、結局、「作るとは、商品を企画すること、事業を企画すること」ということを思い知ることになりました。技術は大切だけど、何を実現するためにその技術が必要なのかをちゃんと定義しておかないとダメですね。
- ユーザーコミュニティーでも、リアルなイベントにおいて、顧客に真摯に向き合うこと。
- ルーターには、「rt100i-users mailing list」というユーザーと開発者が集うメーリングリスト(コミュニティー)がありました。とても、幸せな環境でしたね。
- 私の立場では、教えたいことを聞いてくれるユーザーがいる(ユーザーの立場では、聞きたい時に教えてくれるメーカーの人がいる)。
- 私の立場では、聞きたいことを教えてくれるユーザーがいる(ユーザーの立場では、コミュニティーに貢献したいと思っていたところで、貢献の機会ができた、のかな?)。
- こうして、ルーターはユーザーとともに成長することができました。
- ルーターには、「rt100i-users mailing list」というユーザーと開発者が集うメーリングリスト(コミュニティー)がありました。とても、幸せな環境でしたね。
とうことで各媒体との接点を整理すると
電子メール | 1998年より |
ブログ | 2006年より、実は業務命令により、稼働日に毎日執筆。 いつの間にか「好きでやっているんですよね?」といわれる。違うけど。 |
2010年より、「つぶやくルーター」として製品プロモーションするために実は消極的に登録。 Luaスクリプトは、開発からサンプルをもらって、自分で書いてました。 ネットワーク製品に関心の高い「キーマン探し」をしていました。 調べて、コンタクトして、会う!というサイクルを繰り返す。 メーリングリストの向こう側にいる方にコンタクトできるようになりました。 双方向性が良かったです。 いつの間にか「好きでやっているんですよね?」といわれる。違うけど。 | |
2011年より、原子さんから要請されて、消極的に登録。 仕事的につながったり、コミュニケーションするのに役立つとは思いませんでした。 |
製品情報デザインとは?
カタログ、マニュアル、FAQなど紙媒体やWeb媒体で、製品の情報があふれるようになりました。
これらの情報は、「作り手が用意した情報」です。必ずしも「ユーザーが必要としている情報」とは限りません。
製品情報デザインとは、目的に対して、読者を定義して、読者の状態に合わせて、適切な媒体、適切な情報をどのように提供するか?をデザインするお仕事です。実質的守備範囲としては「マニュアル」という狭い範囲ですが、広義の考え方としては「顧客やパートナーが目に触れるすべての情報をデザインすること」です。
2023年6月6日
ヤマハ株式会社を定年退職しました。
2023年6月7日
ヤマハ株式会社でシニアパートナーとして短日勤務を開始しました。
これからの働き方、クラスメソッドにジョインした理由
「30才定年説」と「終身雇用」の矛盾
1980年頃は、「情報処理」と呼ばれたコンピューター技術者は、「30才定年」説が囁かれていました。親は、「どうやって生きていくのか?」「仕事がなくなるぞ!」と心配していました。
私が決めた解決の方向性は、
- 常に変わり続ける
- 常に成長し続ける
- 過去の実績・経験に囚われない
- 常に新しいことにチャレンジする
それを心に決め「終身雇用の企業で社会人をやりきる」ということができました。 十分やり切れたので、そろそろ、その枠から、飛び出してもいいかな?
人は、「学び続ける動物」なんだと思います。「人は考える葦である」って、フランス哲学者の「パスカル」が言ってたらしいですね。
「認知症の患者さんの気持ちからすれば、何事であっても「学べる」って、幸せなことなんだと思います」というのが私の基準です。
パラレルワーカー
定年退職後は、ヤマハ株式会社で副業規定が定まったこともあり、ヤマハ株式会社でシニアパートナーとして短日勤務しながら、クラスメソッドでも短日勤務させていただくパラレルワーカー(副業)をチャンレンジすることにしました。
いつか、地域、組織、コミュニティーに「伴走する仕事」にチャレンジしてみたいと思います。
クラスメソッドにジョインした理由
ヤマハ株式会社は、製造が得意な会社です。100年を超える歴史がある会社です。日本の伝統的企業(JTC:Japanese Traditional Company)の一つです。そして、音楽、楽器領域において、唯一無二の会社です。素晴らしい会社であるとともに、苦労しているところもあります。誤解を恐れず簡潔に言えば、強い慣性モーメント(イナーシャー)が働いています。そのイナーシャーを時代に合わせて制御できれば、さらに成長できるのだと思います。
それに対して、クラスメソッド株式会社は、真逆のスタイルの企業の一つだと考えています。真逆の会社を経験したいというのが選択理由一つです。そして、私のようなJTCシニアという属性の者がこのような若い会社でやっていけるのか試したい。自分のJTCの知見や経験がどれぐらい役に立つのかわかりませんが、試したい。そもそも自分の器は、JTCより、クラスメソッドの方が適正がある気がしている(笑)。そんなチャレンジ許してくれますか?と相談したら、機会をいただくことができました。
細く長く続けさせていただけるようにアウトプットし続けたいと思っています。
1週間を次のように働き分けをしていきます。
- 週3日は、ヤマハ株式会社で「テクニカルコミュニケーター」として「製品情報デザイン」に取り組みます。 シニアパートナーというヤマハ株式会社の社員です。
- 週2日は、クラスメソッド株式会社で経験を生かして「エバンジェリスト」としての役割を実践したいと思います。 業務委託を受ける個人事業主の立場です。
- 余暇は、家業である「ひらの農園」のお手伝いをします。 草刈り、消毒、収穫、調整、出荷、納品を中心に、時々、田植え機、コンバイン、トラクターなど。
このようなスタイルの異なる2社での働き方を通して、何らかしら気づいたことを情報交換させていただいたり、フィードバックをしていきたいと思っています。
アイキャッチ画像の解説
左上から時計回りの順番でひとこと説明します。
左上 | 私の車です。三菱自動車のエクリプスクロスです。今時は、PHEVで注目されてますが、私は「クリーンディーゼルターボエンジン2.4リットル」を待っていました。若いころ「エクリプス」っていうスポーツカーの存在を知っていました。その名前が復活したら、気にならないではいられません。また、三菱自動車に勤めていた<とっても優しい親戚のおじさんたち>がいたのも、三菱自動車が身近な理由です。
ご参考:三菱自動車 シャリオグランディス→デリカ D:5→デリカ D:5→エクリプスクロス(いまここ) |
→ | 私が商品企画・命名したRTX1000です。 速いVPNルーターですが、不安定なブロードバンド回線にISDN回線で信頼性を担保するバックアップソリューションを1台で組めるようにしました。 |
→ | Interop 2019は、楽器(ピアノ)の会社が作っているネットワーク機器を再認知していただく目的で「Love Piano」を展示しました。このコラボレーションは、Love Pianoチームの持ち込み企画をInterop展示に応用させていただきました。RTX1210やYVC-200などをLovePiano 1号機のデザイナーさんに「Love Communication」というテーマでペイントしていただきました。
ご参考:「Love Piano」とは? |
→ | 生まれて直ぐの「こなつくん」です。
ご参考:こなつチャンネル |
→ | 小さい頃の私です。何歳なんでしょう? |
→ | ひらの農園の「玉レタス」です。 |
→ | ひらの農園のとうもろこしで害虫駆除を担当している「てんとう虫」です。 |
↓ | 左が白色のポイップコーン、右が白色と黄色のしあわせコーン、です。 |
↓ | 左がひらの農園のロゴ、右がオクラの花、です。 |
↓ | 左が黄色のミニトマト、右が大玉トマト、です。 |
← | ひらの農園のブロッコリーですが、珍しい紫色のもの、です。 |
← | 天竜浜名湖線を走っていた「エバンゲリオン」ラッピングの車両です。なんとなく。
ご参考:天竜浜名湖線の「人類乗車計画」 |
← | WLX222は、マニュアル制作を担当しました。 |
← | "10ギガアクセスVPNルーター RTX3510"です。 |
← | 台湾に行ったとき、ちょうど、台風で折れてしまった郵便ポストです。探し出しました! |
↑ | カンボジアのアンコールワット(夜明け時)です。 |
中央 | 私です。沢渡あまね氏と対談した時に撮影していただいた写真です。 |